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上海師範大学

情報掲載日:2009年01月03日



中国留学 上海師範大学

 上海師範大学の情報

1.概要
 1-1.概説
 1-2.基本データ
 1-3.地図
2.歴史
 2-1.略歴
 2-2.年表
3.校訓ほか
 3-1.校訓
 3-2.校徽
 3-3.校歌
4.組織
 4-1.学部・専攻
 4-2.教育研究機関
 4-3.管理部門
5.関係者
 5-1.党委書記
 5-2.校長
 5-3.歴代党委書記
 5-4.歴代校長
6.施設
 6-1.キャンパス
7.対外関係
 7-1.国内
 7-2.国外
8.付属学校
 8-1.幼稚園
 8-2.小学校
 8-3.中等学校
 8-4.分校
9.主要付属機関
 9-1.上海師範大学図書館
 9-2.上海師範大学博物館
 9-3.上海師範大学青年学院
10.出版物
 10-1.定期刊行物
11.留学情報
 11-1.上海師範大学
 11-2.上海市の留学情報

 上海師範大学の概要


 概説

  上海師範大学は1954年に設立された上海師範専科学校を前身とする、師範系を中心とする総合大学である。1956年に上海第一師範学院と上海第二師範学院に分離したが1958年に合併して上海師範学院となった。1972年には華東師範大学などと合併して上海師範大学に改組されたが、1978年には上海師範学院として分離復活した。1984年に上海師範大学に改称され、その後いくつかの大学を吸収合併して現在に至る。
  上海師範大学は18の学部を持ち、哲学、経済学、法学、教育学、文学、歴史学、理学、工学、管理学、農学の10学類に82の学科を擁する。このうち、中国語言文学学科が教育部から国家文科基礎学科人材培養和科学研究基地に認定されているほか、古典文献学科が全国重点培養古典文献人材基地に、教師教育、英語、応用化学、生物技術学科などが上海市本科教育高地建設項目に指定されている。
  上海師範大学の教員数は2,990人で、そのうちの66%が博士または修士の学位を持つ。学生数は大学院生、夜間大学生も含めると4万人を超える。大学創設以来、13万人以上の人材を輩出してきており、上海市内の小中学校教師の70%、中学校長の70%が上海師範大学の卒業生である。
  上海師範大学は徐匯、奉賢の2つのキャンパスを持ち、総面積は162万平方メートル、建築面積は77万平方メートルである。

 基本データ

英語表記:Shanghai Normal University
住所:上海市桂林路100号
電話番号:+86-21-6432-2000
サイトURL:http://www.shnu.edu.cn/
創立:1954年
所属官庁:上海市
211工程:対象外
教職員数:1,694人
中国人学生数:41,475人
留学生:670人
図書館蔵書:349万冊
敷地面積:162万平米
総合ランキング:135位(2008年度中国大学排行榜調べ)

 地図

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 上海師範大学の歴史


 略歴

  新中国建国後、第一次5カ年計画が推し進められる中で、師範教育の拡充が議論されるようになった。1951年08月に開かれた第1次全国師範教育会議において、全国で教師を100万人養成することが目標に掲げられ、各省と大都市には原則として1ヵ所の師範専科学校を設けることが求められた。さらに1953年09月に開かれた第1次全国高等師範教育会議の席上では、上海市にも1ヵ所の高等師範学校を設けることが求められた。
  当時の上海にはすでに183校の中等教育機関があり、在校生は16万人に達していた。これに対し教員数は5,270人に過ぎず、教員の供給体制も整っていなかった。
  上海では1951年に華東師範大学が創立されていたが、これは華東地区全体に向けて教員を供給する機関であり、また、その対象も主に高等教育機関の教員であった。このため、上海市を対象に初頭・中等教育に携わる教員を育成する機関の創設が急務となっていた。
  1954年春、上海市教育局局長の陳琳瑚を主任委員とする上海師範専科学校準備委員会が発足した。同年5月7日に準備会議が開催され、この席で当初は歴史、数学、地理など8学科2年制の課程を開設し初級中学の教員を養成することなどが決められた。
  当時の上海教育局は費用的にも人的にも困窮していた。この中で費用については教育予算中の特殊経費を充てることとした。また、大学教員については市内の各中学に適任者を供出するように求められ、実際に多くのスタッフが各校から提供された。当時を物語るものとして、中学校長達の次のような言葉が残されている。「我們今天支持了師専,明天師専会支持我們。」
  1954年7月5日、上海師範専科学校が正式に設立された。設立当初は西体育会路にあった元の華東速成実験学校に仮住まいし、同校からも教員等が移籍した。9月1日に第一期生が入学し、9月9日から授業が開始された。
  1954年12月15日からは本校区の建設が開始された。昼夜を分かたぬ突貫工事が展開され、翌1955年8月9日に新校舎が落成し、8月18日に西体育会路の休校区からの移転が完了した。現在、上海師範大学徐匯校区の横を通る桂林路は、この工事のために新設されたものである。
  開校当初833人だった学生数は、移転時には1,493人に増えていた。当時は男女はほぼ同数であり、高等学校と工農速成中学の卒業生が主体であったが、その他にも中等師範学校の卒業生や小学校の教師、人民解放軍の軍人なども含まれていた。また、開講当初の図書館蔵書は、旧華東速成実験学校のものが主で、蔵書数は12,958冊だった。これが徐匯区移転時には67,798冊と大幅に増えている。
  上海師範専科学校は創設当時から理論と実践の一致を原則としていた。質の高い中学教員を育成し、上海の基礎教育の発展に貢献することが明確に目的とされていた。しかしながら、当時の主要4科目のうちの3つは心理学、教育学等と、各専門科目、そして教育実習であったが、残る1つは中国革命史、マルクスレーニン主義を含む政治理論科目であったことが時代を映し出している。
  人的不足の中で創設されたため、教員の質には偏りがあった。別の大学から転籍してきた教員や、現役の中学教師、数十年のベテラン教師がいる一方で、大学を卒業したばかりの教員もいた。このため、経験豊富な教師には若手教師を指導することが強く求められた。実際にベテラン教師による若手教師の授業参観、指導などが行われている。
  新中国の建設が進む中で上海市における就学生も増加の一途をたどった。中学校数及び中学生数は1953年には183校、16万人であったが、そのわずか2年後の1955年には203校、22.6万人と急速な伸びを見せている。質の高い中学校教員の育成は上海市にとって急務であった。
  この状況を背景に、1956年2月、上海師範専科学校校務委員会は、夏期休暇以降に同校を師範学院に発展改組することを決めた。また同年5月8日、中央教育部は上海市における中等教育教員養成のため、上海市に師範学院を1校新設することと、上海師範専科学校を師範学院に昇格すること、2校の校名を上海第一、第二師範学院とすることを通知した。
  1956年7月14日に両校は正式に成立した。第一師範学院は市の東北部にあった北郊中学を基礎に新設された。第二師範学院は上海師範専科学校から昇格、改名された。また、分離に当たって両校は文理科を分担することとなった。すなわち、第一師範は中等学校の文科系教員、第二師範は同じく理科系教員の養成機関となった。
  しかし、わずか2年後の1958年6月12日には、両院を統合して上海師範学院とすることが市から通達された。教職員間ではこの措置の目的を文理の交流を促進し、教員の質の向上を図るためと捉えられていたが、実際には華東師範大学が教育部直轄から上海市管轄に移管されたことが原因であった。同校は毎年卒業生の3分の2が上海市の教員となっており、上海市に師範系大学が3つある必要はないとされ、第一、第二師範の合併へとつながった。両校は1958年7月22日に合併され、上海師範学院と校名を改めた。合併後の上海師範学院は規模の拡大を進め、学生数は1958年に4,160人、1959年には5,935人と増加した。
  1956年5月2日に毛沢東が「百花斉放百家争鳴」を唱えて始まったいわゆる百花運動は上海師範学院にも影響を及ぼした。1957年2月27日に毛沢東が共産党批判を呼びかけたことを受け、3月下旬以降、上海師範学院でも活発な討論が繰り広げられた。しかし、6月に入って反右派闘争が始まると、師範学院内でも同様の闘争が始まり、両院合わせて教職員24人、学生229人が右派分子と誤認された。彼らの名誉が回復されたのは1978年になってからである。
  また、1958年から1960年の大躍進政策も大きな影響を与えた。1958年8月に天津大学を視察した毛沢東は、高等学校における教育と生産労働の結合の重要性を説いた。これを受けて、同年9月には「関于教育工作的指示」が中央国務院から出され、同様の内容が指示された。
  同年7月に合併改組された上海師範学院でもこれが実践へと移された。改組から1ヶ月の8月末までに学内外に56ヵ所の工場が設けられ、9月からは鉄鋼生産が始められた。同時に920人の学生が工場での労働に赴いた。さらに農業生産を支援するために4ヘクタールの校地を開墾したほか、9つの農業生産合作社と長期労働契約を結び、93人の学生が労働に就いた。また、教職員、学生2,000人が上海七一人民公社で、1,900人が上海東南の下沙人民公社での労働に参加している。その後、校内での鉄鋼生産が盛んになり人手不足となったため、加俸していた教職員、学生が大学に戻ることとなった。
  教育面でも影響が出た。学制改革として本科生は3年で課程を修了させ、4年次は教育実習に当てられた。また、労働課と政治課が科目に加えられた。途中である程度の修正を加えようという試みもなされたが、大躍進運動の大規模な盛り上がりの中では無力であった。基礎理論学習が削られ、教室での授業などが軽視され、授業時間、学習時間は大幅な削減を余儀なくされた一方で、労働や社会活動に多大な時間が費やされた。結果として教育効果に大きな悪影響を与えることとなった。
  1966年に文化大革命が勃発すると、同年4月には中共上海市委員会教育衛生部から市内各高等教育機関に、文化大革命を中心任務とすることを求める通達が出された。6月に入ると活動が活発になり、6月中旬までに学内に27,800枚の壁新聞が貼られ、その中で批判の対象とされた人数は685人。これは当時の教職員1,288人の53%に上るものであった。また、8月には学内に紅衛兵と造反隊が生れたが、10月以降両者は対立を深め闘争を繰り広げるようになった。
  1967年9月には軍訓団が上海師範学院に進駐した。翌1968年1月25日には上海師範学院革命委員会が成立し、極左路線が継承された。同年8月には996人からなる工宣隊が進駐したが、その人数は上海市の高等教育機関に進駐した規模として最大のものであった。
  ある統計によると、文革期間に被害を受けた上海師範学院の教職員、学生は1,066人にのぼる。33名の幹部はそのすべてが被害を受け、47人の教授、副教授のうち42人が強制労働などを強いられた。また、文革期間中に命を落としたものは21人であり、その中には呉从雲副院長、唐淑平党委弁公室主任、楊代蓉外語系副書記などの高級幹部も含まれていた。
  文革開始と同時に教育現場は混乱を呈し、上海師範学院は学生の募集を停止した。同校はそもそも上海市における初中等教育の教員育成を目的に創設されていた。このため1970年ごろになると上海市の小中学校は深刻な教師不足に見舞われた。
  1971年暮れ、上海市革命委員会は上海師範学院、華東師範大学、上海体育学院、上海教育学院、上海半工半読師範学院の5校を合併することを決めた。これは江青ら4人組が企てたもので、その目的は師範系5校を1つにまとめることでコントロールを容易にし、権力闘争に利用することであった。1972年5月に合併が行われ、校名は上海師範大学と改められ、本部は旧華東師範大学に設けられた。
  この措置は上海の教育界に甚大な被害を与えた。もともとの5校は華東師範大学は華東地区全体の高等教育教員、上海師範学院は上海市の中等教育教員、上海体育学院は全国の体育教員といったように、異なる役割を担っていた。それが合併によって例えば上海師範学院と上海体育学院の体育系が統合されるなど、全体的な規模が縮小された。文革開始からの5年間でどこの大学も学生募集を停止していた上に、5校統合以降の毎年の募集数は1,500~1,800人と統合前の5校合計の半数程度であった。また、授業の休止や教員の不足、革命教育の横行などによる教育の質の低下も著しかった。このことは上海市の中等学校における教師不足と教育の質の低下を生み出した。
  1976年10月6日に4人組が逮捕され文化大革命が終結すると、統合5校を元に戻すことを求める声が上がり始めた。1977年5月には旧上海師範学院の幹部教師ら12名が中央教育部に復活を求める意見書を提出した。その後も各界から同様の要望が相次ぎ、これを受けて翌1978年5月13日、上海師範学院が復活した。
  6年ぶりの復校を遂げたものの、当初の道のりは険しいものだった。復校時に3,300人という大量の新入生を受け入れたものの、文革中に大学を離れた教員も少なくなかったため、教員の量が足りなかった。また、教室や蔵書など教育資源も文革中に大きな被害を受けていた。さらに、5校統合の際に理科系の機材などを統合大学に移管したため、これら教育設備にも不足をきたしていたが、改革開放以降、徐々に体制が整備されていった。
  創立30周年を迎えた1984年10月16日には校名を上海師範大学と改めた。その後いくつかの教育機関を併合して現在に至る。  

 年表

1954年07月05日
1955年08月18日
1956年07月14日
1956年07月14日
1958年07月22日

1965年06月
1966年
1972年5月


1978年05月13日
1984年10月16日
1994年10月
1997年09月
1997年09月

2001年
2003年08月
2007年07月
「上海師範専科学校」として創設
上海市徐匯区桂林路に移転
上海第一師範学院を分離新設
「上海第二師範学院」に改称
上海第一師範学院、上海第二師範学院を統合し「上海師範学院」に改組
上海半工半読師範学院を上海師範学院に編入
学生の募集を停止
上海師範学院、華東師範大学、上海体育学院、上海教育学院、上海半工半読師範学院の5校を統合し「上海師範大学」に改組
旧上海師範学院部分を分離し「上海師範学院」に改組
「上海師範大学」に改称
上海技術師範学院と統合し「上海師範大学」に改組
上海師範高等専科学校を上海師範大学に編入
南林師範学校黄陵衛生保健師範部を上海師範大学に編入
上海行知芸術師範学校を上海師範大学に編入
上海旅游高等専科学校を上海師範大学に編入
上海青年管理幹部学院を上海師範大学に編入
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 上海師範大学の校訓ほか


 校訓

上海師範大学の校訓は「厚徳、博学、求是、篤行」である。

 校徽


 校歌

上海師範大学校歌
作詞:張、任仲倫
作曲:方之江

黄浦江畔春風蕩,我在播種希望。
厳謹求実,勤奮好学,沐浴着理想的陽光。
文明健康,為人師表,文明健康,為人師表,
喜看那桃李芬芳,培育出社会的棟梁。
重任,重任,落在我的肩上;
要創造未来,創造輝煌。
重任,重任,落在我的肩上;
要創造未来,創造輝煌。
創造輝煌,輝煌!
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 上海師範大学の組織


 学部・専攻

人文与伝播学院
  漢語言文学
  歴史学
  対外漢語
  古典文献
  広告学
  広播電視新聞学
  編輯出版学
  社会工作
  档案学
  戯劇影視文学
  撮影
数理信息学院
  数学与応用数学
  物理学
  教育技術学
  計算機科学与技術
  信息与計算科学
  統計学
  通信工程
  計算機信息管理
女子文化学院
  漢語言文学
  文化産業管理
  公共関係学
旅游学院
  地理科学
  旅游管理
  会展経済与管理
対外漢語学院
  対外漢語
外国語学院
  英語
  日本語
法政学院
  思想政治教育
  哲学
  行政管理
  労働与社会保障
  法学
  人力資源管理
教育学院
  学前教育
  小学教育
  公共事業管理
  教育学
  応用心理学
商学院
  経済学
  物業管理
  電子商務
  財務管理
  資産評価
建築工程学院
  土木工程
  工程管理
体育学院
  体育教育
  社会体育
生命与環境科学学院
  化学
  生物科学
  科学教育
  応用化学
  化学工程与工芸
  生物技術
  環境工程
  園芸
  食品科学与工程
機械与電子工程学院
  電子信息工程
  電気工程及其自動化
  汽車服務工程
  機械設計製造及其自動化
金融学院
  経済学
  旅游管理
  広告学
  フランス語
  金融学
  金融工程
  投資学
  保険
  計算機科学与技術
  渉外秘書
音楽学院
  音楽学
  音楽表演
  録音芸術
  舞踏学
謝晋影視芸術学院
  表演
  播音与主持芸術
  広播電視編導
美術学院
  美術学
  芸術設計
  油絵
  彫刻
  書道

 教育研究機関

マルクス主義学院
継続教育学院
進修学院
行知芸術学院
古籍整理研究所
文学研究所
地域研究所
語言研究所
芸術教育研究所
現代教育研究所
法与社会発展研究所
知識与価値科学研究所
高等職業教育研究所
遺伝研究所
応用化学研究所
応用技術研究所
基因功能研究所
中国近代社会研究中心
都市文化研究中心
宋史研究中心
対外漢語教学研究中心
小学教師教育研究中心
小学語文教学研究中心
経済倫理研究中心
中国美学研究中心
天体物理聯合研究中心
科技策劃与伝播中心
陶行知研究中心
中欧城市比較研究中心
予防職務違紀違法犯罪研究中心
亜洲学研究中心
上海師範大学心理測評中心
池田大作思想研究中心
上海師範大学広島大学文科教育聯合研究中心
倫理学研究室
応用物理研究室
光催化研究室
新技術開発研究室

 管理部門

校弁公室
宣伝部
研究生工作部
婦委会
統戦部
保衛部
紀委弁公室
老幹部工作処
工会
組織部
学生工作部
団委
基建規劃処
科学技術管理処
国際交流処
財務処
資産管理処
社会科学管理処
学生工作処
審計処
教務処
研究生処
人事処
監察処
設備与実験室管理処
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 上海師範大学の関係者


 党委書記

氏名
性別
出生
民族
学歴

職歴
周鴻剛

1949年01月 江蘇省泰興市生まれ
漢族
1975年08月 上海機械学院機械系電子自動化専業卒
1997年03月 上海大学知識産権学院管理工程専業修士
1975年08月 上海機械学院学生党支部書記
1979年06月 上海工業大学計算機総支副書記
1987年03月 上海工業大学学生工作部副部長
1994年05月 上海大学学生工作弁公室主任
1996年10月 上海大学党委副書記
2005年06月 上海師範大学党委書記

 校長

氏名
性別
出生
民族
学歴

職歴
李進

1949年 江蘇省武進市生まれ
漢族
1982年07月 北京師範大学哲学系卒
1988年07月 上海師範大学政法系哲学専業修士
1982年07月 上海師範学院政法系教員
1988年12月 上海師範大学政法系副教授
1994年05月 上海師範大学政法系教授
2000年10月 上海東滬職業技術学院院長兼党委副書記
2006年01月 上海師範大学校長

 歴代党委書記

1955年~1958年
1958年~
1978年~1983年
1986年~1990年
1990年~1994年
1994年~1999年
1999年~2005年
2005年~
劉芳
陳雲涛
王楽三
劉克
皮耐安
徐千栄
林樟杰
周鴻剛

 歴代校長(院長)

1954年~1958年
1958年~
1978年~1983年
1983年~1986年
1988年~1996年
1996年~2003年
2003年~2006年
2006年~
陳琳瑚
世承
王楽三
朱鴻
王邦佐
楊徳広
立中
李進
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 上海師範大学の施設


 キャンパス

徐匯キャンパス
  住所:上海市徐匯区桂林路100号
奉賢キャンパス
  住所:上海市奉賢区奉公路553号
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 上海師範大学の対外関係


 国内

  上海師範大学の国内対外関係について特記事項はない。

 国外

  上海師範大学は中国政府奨学金留学生の受け入れ大学に指定されており、30を超える国の200校近い大学との間で交流関係を結んでいる。年間の長期留学生は600人を超える。また、上海師範大学は日本の福山大学とアフリカのボツワナ大学に孔子学院を設置している。
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 上海師範大学の付属学校


 幼稚園

上海師範大学幼稚園

 小学校

上海師範大学附属上海市実験学校

 中等学校

上海師範大学附属中学
上海師範大学第二附属中学
上海師範大学第三附属中学
上海師範大学第四附属中学
上海師範大学附属外国語中学

 分校

上海師範大学に分校はない。
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 上海師範大学の主要付属機関


 上海師範大学図書館

  上海師範大学図書館は1954年8月に上海師範専科学校図書館として創設された。当時は書庫と閲覧室が1つずつ、面積120平方メートル、職員4人という小さな規模のものであった。1955年8月に上海師範専科学校が現在の上海師範大学徐匯キャンパスに移転し、面積は1,000平方メートルに拡大された。
  1956年7月には上海師範専科学校が上海第一師範学院と上海第二師範学院に分離され、上海第一師範学院図書館は文科、上海第二師範学院は理科を中心とした図書館に再編された。1958年7月に両校が統合され上海師範学院となると図書館も統合され、面積は3,000平方メートルに拡張された。
  1984年10月に校名が上海師範大学に改称されると、図書館も上海師範大学図書館に改称された。1986年10月には新館が建設され、総面積は11,000平方メートルとなった。2003年9月には奉賢校区に新館が建設され、33,000平方メートルとなった。
  上海師範大学図書館は文理各方面の資料を豊富に揃えているほか、上海の近現代における政治、歴史、経済、文化、教育等の分野の史料も多い。

 上海師範大学博物館

  上海師範大学博物館は2002年5月18日に開設され、建築面積は740平方メートルで、玉器、青銅器、書画、刺繍などを所蔵している。

 上海師範大学青年学院

  上海師範大学青年学院は上海師範大学と共産主義青年団上海市委員会が共同で設立したもので、上海市北郊の虹口区西江湾路にある。現在、思想政治教育学科と5つの職業学科を開設しており、学生数は2,700人である。
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 上海師範大学の出版物


 定期刊行物

上海師範大学学報哲学社会科学版
上海師範大学学報自然科学版
上海師範大学学報基礎教育版
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 上海師範大学の留学情報


 留学情報サイト

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   【黒龍江省】
     黒龍江大学
     東北林業大学
     ハルビン工業大学
     ハルビン師範大学
     ハルビン理工大学
   【吉林省】
     延辺大学
     吉林大学
     長春大学
     長春理工大学
   【遼寧省】
     鞍山師範学院
     瀋陽建築大学
     瀋陽工業大学
     大連大学
     大連外国語学院
     大連交通大学
     大連理工大学
     東北財経大学
     渤海大学
     遼寧師範大学
   【北京市】
     首都師範大学
     清華大学
     対外経済貿易大学
     中央民族大学
     中国人民大学
     北京大学
     北京外国語大学
     北京科技大学
     北京化工大学
     北京航空航天大学
     北京交通大学
     北京語言大学
     北京師範大学
     北京第二外国語学院
     北京理工大学
     北京林業大学
   【天津市】
     天津大学
     天津外国語大学
     天津工業大学
     天津師範大学
     南開大学
   【河北省】
     河北大学
   【河南省】
     河南大学
     河南科技大学
     河南工業大学
     河南師範大学
   【山西省】
     山西大学
     太原理工大学
     中北大学
   【内蒙古自治区】
     内蒙古大学
     内蒙古師範大学
     内蒙古民族大学
   【陝西省】
     西安外国語大学
     西安科技大学
     西安理工大学
     西北大学
     陝西師範大学
   【甘粛省】
     甘粛政法学院
     蘭州大学
   【山東省】
     山東大学
     山東科技大学
     青島大学
     青島科技大学
     青島農業大学
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   【江蘇省】
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